あるがままの自分を認める
Sunday, October 11th, 2009あるがままの自分を認める。
いや、それができれば苦労しませんよ、と人は言う。なぜ、それができないのか。自分で自分が許せないからである。
「人間関係」 の教授は人の中に出ても萎縮すべきでないとか、客は自分の運転手の好意にただで甘えるべきでないとか、自分で自分を縛るからである。人間関係の教授は人の中に出ても萎縮しないのに越したことはないが、いつでもどこでも萎縮すべきでない、という絶対のルールなどはない。自分で自分を縛っているだけである。
萎縮しないのに越したことはないということは、「萎縮しなければよいのだが」 という願望に過ぎない。願望がいつでも事実になるわけではない。それが人生である。そこで結論としては、萎縮している自分を許さねばならない。自分をとがめてはならない。あるがままの自分を認めるのである。
もっとも自分は許容しているが、人は許容してくれないかもしれない。「心理学の教授のくせに・・・」 と非難する人がたぶんいると思う。それは仕方がない。非難されたところで首になるわけではないし、月給をストップされるわけでもない。猿も木から落ちるではないか。
「<つきあい>の心理学」 国分康孝著