「・・・ 潤一さん。大人になっても、ああ、なぜあの時、心に思ったとおりにしなかったんだろうと、残念な気持ちで思い返すことは、よくあるものなのよ。どんな人だって、しみじみ自分を振り返ってみたら、みんなそんな思い出を一つや二つもってるでしょう。大人になればなるほど、子供の頃よりは、もっと大きなことで、もっと取り返しがつかないことで、そういう思いをすることがあるものなの。お母さんなんか、なくなったお父様のこと、お亡くなりになるのなら、ああもしておけばよかった、こうもしておけばよかったと、そう思うことばかりよ。」
お母さんは編み物の手をとめて、コペル君と一緒に、障子のガラス越しに、水色に晴れた空を見ていましたが、気を取り直したように明るい顔にかえると、微笑みながら、また話し続けました。
「でもね、潤一さん。石段の思い出は、お母さんにとっては嫌な思い出じゃぁないの。そりゃあ、お母さんには、ああすればよかった、こうすればよかったって、あとから悔やむことがたくさんあるけど、でも、「あのときああして、ほんとによかった」 と思うことだって、ないわけじゃありません。それは損得から考えてそういうんじゃないんですよ。自分の心の中の温かい気持ちやきれいな気持ちを、そのまま行いに表して、あとから、ああよかったと思ったことが、それでも少しはあるってことなの。そうして、今になってそれを考えてみると、それはみんな、あの石段の思い出のおかげのように思われるんです。
ほんとにそうよ。あの石段の思い出がなかったら、お母さんは、自分の心の中の良いものやきれいなものを、今ほども生かしてくることができなかったでしょう。人間の一生のうちに出会う一つ一つの出来事が、みんな一回限りのもので、二度と繰り返すことはないのだということも、— だから、その時、その時に、自分の中のきれいな心をしっかりと生かしてゆかなければいけないのだということも、あの思い出がなかったら、ずっとあとまで、気がつかないでしまったかも知れないんです。
だから、お母さんは、あの石段のことでは、損をしていないと思うの。後悔はしたけれど、生きてゆくうえで肝心なことをひとつ覚えたんですもの。人の親切というものが、しみじみと感じられるようになったのも、やっぱり、それからでした。」
・・・
「潤一さんもね、いつかお母さんと同じようなことを経験し養いかと思うの。ひょっとしたら、お母さんよりも、もっともっとつらいことで後悔を味わうかもしれないと思うの。
でも、潤一さん。そんな事があっても、それは決して損にはならないのよ。そのことだけを考えれば、そりゃあ取り返しがつかないけれど、その後悔のおかげで、人間として肝心なことを心に染みとおるようにして知れば、その経験は無駄じゃぁないんです。それから後の生活が、そのおかげで前よりずっとしっかりした、深みのあるものになるんです。潤一さんが、それだけ人間として偉くなるんです。だから、どんなときにも、自分に絶望したりしてはいけないんですよ。そうして潤一さんが立ち直ってくれれば、その潤一さんの立派なことは、そう、誰かがきっと知ってくれます。
人間が知ってくれない場合でも、神様はちゃんと見ていてくださるでしょう。」
「君たちはどう生きるか」 吉野源三郎著