精神の悪い人にあっては学識は人を愚かにする
Thursday, October 29th, 2009学識は、精神の良い人たちにあっては、この双方に対して大いに助けになると私は思います。が、しかし、正直に言って、それほど精神のよくない他の人々にあっては、学識はその人たちをさらに愚かな人間、悪い人間にする役にしか立っていません。
『教育に関する考察』 ジョン・ロック著
学識は、精神の良い人たちにあっては、この双方に対して大いに助けになると私は思います。が、しかし、正直に言って、それほど精神のよくない他の人々にあっては、学識はその人たちをさらに愚かな人間、悪い人間にする役にしか立っていません。
『教育に関する考察』 ジョン・ロック著
・・・ ところが、杉子さんはそのたくさんの石の内から三つだけとって、之は少し綺麗ね、がだあとはくだらない石じゃないの、こんな石何処にだっておっこっているわと言うのだ。いつか君が拾ってきてくれた石なぞも、こんな下らない石を、なぜ大事そうにとっておくのと言って、捨てておしまいなさいと、そう言うのだ。そう言われてみると、僕もそんな気がしてくるのだ。僕はどれでも自然の子であり、どれも平等に日光を受け、どれも平等に雨に潤されて存在しているもので、人間の智慧で、価値を決めるのは悪いような気がしていたのだ。又見ようによればどれも面白く思えるのだった。だがそれが反って不自然である。石にもやはり、人間と同じように美しいものと美しくないものがある。これは現実としてやむをえないことだという当たり前のことが、分かったような気がするのだ。それで僕は思い切って、石を十だけ残して、あとは庭に捨ててしまったのだよ。この世に不公平な事があるのは嫌なことだ。だが、百姓は雑草を作るわけにはゆかない。五穀や野菜を作る為には雑草を抜き取らなければゆかない。害虫も退治しなければならない。
「真理先生」 武者小路実篤著
「・・・僕はどうかして本当の意味で、うまくなりたいと思っている。だが、僕はどうも才能がなさ過ぎるのだ。だが、誠実と勉強で、ものになって見せるつもりだが、なかなか難しい。しかしその難しいところが面白い。優しかったら、僕は画なんかかかない。難しいから、努力し甲斐があるのだ。何とかしてものになってやろうという所が、面白いところだよ。」
「真理先生」 武者小路実篤著
「こんな画をかいても満足しないのですか。随分欲が深いのですね。」
「正直な所、之をかいた時、ちょっと自慢したかった。だが、こんな画をかいて、少しでも自慢したい気になった自分を軽蔑したくなった。まだまだ、こんな仕事で得意になっては仕方がない。ミケルアンゼロやレオナルド・ダ・ヴィンチなぞを一寸でも頭に浮かべる時、自分が余りに子供なのを感じる。自分は自分の力だけの仕事をするので、満足するのはいい。自分の力以上のことをしたいと思うことは虚栄心だ。しかし、こんなちっぽけな仕事で得意になるのは、自分があまりに小人物だということになる。自分は大作をしようとは思わないが、自分の全力を出してもっとも深い所から純な生命の泉を汲み上げたい。死物狂いで自分の力を出し切った仕事をしてみたい。ここまで来れて自分の全力を出しきれる仕事が出来ないのは恥だと思っている。深さで誰にも恥じない仕事をしたい」
「真理先生」 武者小路実篤著
あなたは自分の仕事が、自分のできる限りの力を出した結果だと、胸を張って言えるだろうか。
修行時代は、本気に修行することだ。自分の心身を鍛えられるだけ鍛えることだ。健康第一。しかし健康は目的ではなく、自分の一生をなるべく有益に生かす為に健康を大事にするのだ。栴檀は双葉より芳しと言う。この本をわざわざ読む人は十人並みの人間で満足できない人々であろう。それなら、まず修行時代に十人並み以上に豪気な気質をもって、自分を鍛錬すべきだ。早起きもいいであろう。運動もいい。二宮尊徳にまけない働き者に自分を作り上げるのもいいであろう。又よき本を熱心に読み、よき友達と心をうちあけて話したり、議論するのもいいだろう。よき先生が居たら教われるだけ教わるがいい。怠けるくせはつけないがいい。半物知りや、嘘つきや、ごまかしは、人間を本当に鍛えてはくれない。
早く有名になろうとか、早く成功しようとか思わずに、最後に勝利を得る、間違いのない道をこつこつと歩くべきである。
「人生論・愛について」 武者小路実篤
修行時代と時期を隔てずとも、常に頭に入れておきたい言葉だ。
若いときはなるべくいろいろのものを読むのがいいが、しかし本当に読みたいものを読むべきである。
十七歳から二十二三歳の間にいい本を沢山読んでおくことはその人の一生にとって大事なことのように僕には思える。
この大事な齢につまらぬものを読むのは惜しいことである。できるだけ第一流の本を読むべきである。
そうすれば人生が如何に宝に満ちているものか、そしてその宝を掘り出すのに暢気な心がけでは駄目なことが分かり、本気になって修行をし、心の鍛錬をする必要を感じ、いざというとき動かないだけの信念を持つことができ、真の勇気、真に立派な人物、真に愛すべき人間、尊敬すべき人間がどんな人かよく知り、それらの人と精神的な友人となることができ、この世に真剣に生き、真剣に仕事をしなければならないことを知るであろう。
我等はこの世の古今東西に愛敬する多くの友人を持つことができ、それらの人を信じることで、人生に対する信頼を失われずにすむことができる。
「自分より偉い奴がいる。
自分より真剣な奴がいる」自分より真剣に生き抜いた男のことを知るのは実にいい鼓舞を受ける。彼らには我等を真剣にさす力がある。負けずにやれという気になる。
男らしい競争、最善を尽くし、尊敬しあっての競争、相手は知らぬかも知れないが、尊敬するものに負けないだけの仕事を地上にして行こうというのは男らしい意地である。
「人生論・愛について」 武者小路実篤
男らしく、などとわざわざ男といっているのは単にその時代背景のせいであって、女性でも同じことだ。
・・・しかし、私は幸いにもとっさにそんな言葉で、自分を穢すことをのがれたのだった。
「小さき者へ」 有島武郎作
世の中の人が無頓着だといってそれを恥じてはならない。それは恥ずべきことではない。私たちはそのありがちの事がらの中からも人生の寂しさに深くぶつかってみることができる。小さなことが小さなことではない。大きなことが大きなことではない。それは心ひとつだ。
「小さき者へ」 有島武郎作
凡て外界のものが頭の中に入って、すぐ整然と秩序なり段落なりがはっきりするように納まる人は、恐らくないでしょう。失礼ながら貴方の年齢や教育や学問で、そうきちんと片付けられる訳がありません。もしまたそんな意味でなくって、学問の力を借りずに徹底的にどさりと納まりを付けたいなら、私のようなものの所へ来ても駄目です。坊さんのところへでもいらっしゃい。
「硝子戸の中」 夏目漱石著
これは社交ではありません。御互いに体裁の好い事ばかり言い合っていては、何時まで経ったって、啓発されるはずも、利益を受けるわけもないのです。貴方は思い切って正直にならなければ駄目ですよ。自分さえ十分に開放して見せれば、今貴方がどこに立ってどっちを向いているかという実際が、私に能く見えてくるのです。そうした時、私は始めて貴方を指導する資格を貴方から与えられたものと自覚しても宜しいのです。だから私が何か言ったら、腹に答えるべき或物を持っている以上、決して黙っていてはいけません。こんな事を言ったら笑われはしまいか、恥を掻きはしまいか、または失礼だといって怒られはしまいかなどと遠慮して、相手に自分という正体を黒く塗りつぶした所ばかり示す工夫をするならば、私がいくら貴方に利益を与えようと焦慮ても、私の射る矢は悉く空矢になってしまうだけです。
「硝子戸の中」 夏目漱石著