老人の忠告を役立てて、まっしぐらに良い道を進む
August 14th, 2010われわれ老人のあやまちは許してもらえる。われわれの歩んだ道はまだ拓かれてなかったのだから。しかし、後から生まれてくる人は、それだけ要求されるところも多いのだから、またしても迷ったり探したりすべきではない。老人の忠告を役立てて、まっしぐらに良い道を進んでいくべきだ。いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるもので無ければならないよ。
エッカーマン著 『ゲーテとの対話』
老人の忠告を聞いてまっすぐ良い道を進むべきだ、と、ゲーテはそう語った。
確かに同じ過ちを繰り返すのは愚かで、避けられるものなら避けたいものだ。
何が過ちであるか、ということについては意外とハッキリしていることは多い。怠慢であるとか、暴飲暴食、喫煙、犯罪の類は過ちということで異論はないだろう。何をしないべきか、ということはわかりやすいし、これは何も老人の忠告がどうのこうのと言うまでもなく、ある程度志の高い者なら若者でも気づくものだ。
問題は、正しい・良い道が何か、ということが分かりにくいことだろう。
こう言っては気を悪くする人もいるかもしれないけれど、率直に言えば老人が必ずしもいいことを言うわけではない。だからその真偽を判断することなく忠告を聞くのもよろしいとも言えない。
それならば良い業績を残した人の、その分野について忠告が正しいかといえばそれすらも疑わしい。例えば、顕著な成績を残したスポーツ選手が必ずしも名監督、名コーチになるわけではない。努力はしたのは確かだろうが、凡人の持たぬ野性的な勘、才能がその選手を名選手にしていたという事情もあるだろう。
人生の良し悪しもまた然り。
僕が 「アメリカに引っ越したことは良かったことだ」 といって後で他の誰かに引越しを勧めるとしても、もしかしたら同様に 「中国に引っ越したら良かったから中国に引っ越せ」 という人もいるかもしれない。じゃぁ、どっちが本当に良い道なのか、ということになる。
科学のようにこれが正しい、これが正しくないということがハッキリしているものについては、先人の業績をよく調べて、同じ「過ち」を繰り替えさないようにすべきだ。学問については、最初から全部オリジナルで何かをやろうとすることは良くなくて、まずは人のやったことをよく調べることが大切だ。
一方、人生や生き方というような話、あるいはスポーツのように結果オーライっぽい物事については、逆に先人が良かったからといって鵜呑みにせずに、自分でよく考えることが大切なんだと思う。