伝統行事の価値
May 9th, 2010伝統行事の価値とはなんだろうか。
厄払い、厄除けの類の行事の類。白装束に身を包んで何かをする「神聖」なような儀式。あれの価値がどこにあるか一度考えておくべきなのだ。
例えば厄払い。
「男性は42歳は厄年です。厄年に悪いことが起きないよう、厄払いをしておきましょう。
祈祷料5000円。」
こうしたふれこみを読んで、きっと真面目な人は厄払いをしにいくわけだ。でも、厄払いで悪いことが起きなくなるといってお金を取って、本当にいいのだろうか。率直に言って、僕には詐欺まがいの商売としかおもえない。
暴飲暴食、喫煙、過度の飲酒などを続けていても、厄払いさえしておけば無病息災でいられる、なんて馬鹿なことをいってはいけない。無病息災でいたければ少なくとも暴飲暴食、喫煙、過度の飲酒などをやめ、適度な運動、睡眠をとり、ストレスのない環境に身をおくことが最低限必要とされる。
決して、厄払いをすればそれで無病息災というわけにはいかない。
商売の基本は、お互いのことを考えた交渉、サービスをすることによってお互いが Win-Win の関係を・・・、などというのは、最近のビジネスパーソンには良く言われることではあるけれど、これはかなり文明的な最先端の考え方だ。
従来の古い伝統的なやり方は、なりふり構わず相手を不安にしておいて、そしてこちらはその解決策をもっているからお金を払え、というものだ。
僕には「厄払い」は極めて原始的で、強引なマーケティング手法にしかみえない。宗教法人ではない団体が実施したら、法に触れるのではないかと思うほどだ。
と、厄払いばかり槍玉に挙げたが、それ以外の伝統行事もまた大差ないように思える。
初詣ってなに?お祭りってなに?お賽銭って?おみくじって?
ただのイベントとして近所の人達と遊びまわるためのものと開き直るなら問題は無いだろう。しかし、そこに実質的な効力を求めた時に、僕は問題があると思う。
古くから行われてきたことだから正しい、ということは理由にならない。新しい人が古くから行われてきたものの意味を考え直し、正しいか正しくないかふるいにかけていかなかったら、そもそも新しい僕らの価値がない。古い人は間違っているかもしれない。僕らが正しいかもしれない。そう考えてはじめて物事を正しいものに変えていける。
「伝統的に」 「しきたりだから」 「とは、こういうものだ」 というキーワードには十分注意して誤りを犯さないように気をつけて行きたいと思う。